非論理的ドリル

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デトックス述懐

 デトックス述懐のことを思い出したので書く。


 もともと、長尾友里花さんのことが好きで、彼女のツイッターを追いかけていた。デトックス述懐に出ます、ポストカードを配布します、というツイートに飛びついて、中国地方のど田舎へ送っていただいた。色鉛筆で書き込まれたポストカードは大切に保管している。
 田舎に住んでいること、都会にホイホイいける収入は流石に無かったことを踏まえ、行きたいと言いながら結局行けないダメなファンになるのだろうと思っていた。  仕事の都合で、夏から冬にかけて東京に引っ越すことになった。
 私の頭にあったのは、デトックス述懐に行ける、ということだけだ。住む場所や諸々の心配はあったものの、とりあえず、デトックス述懐に行ける、長尾さん名義でお金を払える。これが一番大きかった。ついでのような扱いで申し訳ないんだけど、同じ柿喰う客の福井なっちゃんにもあなたが好きですとアピールがしたかった。
 〇〇名義については前の記事で言及したので割愛。


 柿喰う客の二人を目当てに行ったとしても、数えきれないほど見ればほかに好きな人もできる。当然、二人だけが魅力的なわけじゃないのだ。
 その中で一番好きになったのはみらのちゃんだった。
 何度も通ううちに、どこに座ればあのシーンの何が見れる、というのは分かってくる。中央の柱横に座れば三角座りの女の子たちとばっちばちに目が合う。真っ直ぐに目が合うのが怖くなって視線を逸らせばその先でもまた素敵な誰かと目が合う。逃げ場がなかった。下手の一番前左側に座っていればお菓子を貰えるし、甘い香りを振りかけてもらえる。
 私のお気に入りは上手の壁沿いの椅子だった。あそこに居れば、奥で待機している誰かの影が見えるのだ。ファミレスでも、舞台でも、日常生活でも、私は誰かがやってくるのが見えるのが好きだ。
 初めて入ったときは、アフタートークの存在を知らなかった。きっとあるんだろうな、この規模だし、と思っていたけど、マチネだったからだろうか、あんまり人が残る気配がなかったので逃げるように外に出た。二回目以降はちゃんと残って、長尾さんやなっちゃんに挨拶をした。好きです、あのシーンの何が、とか好きなようにお話をして、プレゼントを送ればその御礼を貰ったり。長尾ちゃんと話をしましたか、というなっちゃんの気遣いはとてもうれしかったけど、私はなっちゃんともお話がしたい。
 マチネとソワレの間にふらふら歩き回っているうちに、誰かが煙草を吸っているのを見た。近くにタバコ屋があるんだろうか、と思って散策もしてみたし、無意味にコンビニ前で立ち尽くしてみたりもした。


 確かあれば平日だったと思う。多分ソワレだ。
 京王線の駅名を連呼するシーンがあるのだけど、その度に人々が笑っていた。クスクス笑いが漏れたり、幾人かのツボにはまったりしていたけど、あの日あの公演ほど全員が笑った回はないと思う。きっと声の大きな人たちにはまったのだろう。伝染するように笑い声が飽和した。私はその頃仙川に住んでいたから、「仙川さん!」と初めて聞いた時にはびっくりするほど笑ってしまった。
 あの笑いを思い出すたびに舞台は不思議な生き物だと思う。
 あの日だけ入った人は、この舞台、このシーンで皆が笑うのだと思う。二度目だった人は、今日はよく笑うなあと思うだろうし、幾度も入っていた人は珍しい、こんなに笑うなんて、と思う。
 私は、その日のマチネにも入っていたし、他の日にも入っていたから、あの日あのお客さんだけが京王線沿いの駅名に大爆笑したことを知っている。
 駅名が名前になっていることで笑う人たちがいて、しかも大爆笑した。そんな回はあの日のソワレしかなかった。
 でも、彼女達は常に同じことをやっている。それはきっと体調やテンションによって、毎日違う生き物になっているのだけど、受け取る観客の形が違うだけでこんなにも別の形になる。

 だからあの日あの回にだけ入った人はみんなそこで笑うのだと思って帰る。他の回にも入った人はあの日だけが特別だった、心地よかったと思って帰る。少なくとも私はそうだ。
 不思議な生き物は、いつだって同じ形をとることは無い。


 チケット代と私の都合が噛み合ったあの空間で出会ったデトックス述懐という舞台は、半年以上経って今ふとブログを書こうと思うぐらいには何か面白いものがあったんだと思う。
 舞台に対して造詣が深いわけではないから、何が面白かったとかは言えない。
 こうなるはずだったのにという夢をどうやって諦めていくかの話だったようにも思うし、ボーイッシュの女の子がいざ女の子として扱われた時の混乱を見るモノだったかもしれない。本気ぶってる女の子達に冷めた女の子が呆れる話だったかもしれないし、彼女達の実際のあの生活にはただれた性生活があったのかもしれない。
 田舎でただのエンジニアとして過ごしている私には何も分からない。でもあの密着した空間は何度通っても苦痛にならないくらい心地が良かったことだけは覚えている。
 もう二度とあんな幸せの舞台を見に行くことはできないのだと寂しい。多分、私が持っているべき感想はこれだと思う。

演劇における〇〇名義について

私名義のチケット申し込みはこちらです、というツイートを見て、恥ずかしながら演劇初心者の私には「名義ってなんだ」という感情しか生まれなかった。
その後幾人かを追いかけているうちに、「私名義のお客さんが来なかったって言われてへこんでる」などの言葉を見かけて、どうにか結論が付いたので書く。


長らくアニメオタクや本の虫、ジャニオタとして生きてきたので、〇〇名義という言葉には縁がなかった。
一年と半年ちょっと、柿喰う客を中心に演劇に通ううちに、〇〇さんの売り上げに還元する応募方法なのだなと何となく覚えた。
裏側で実際にどういった形で還元されているのかは分からないが、あなたのために見に行きます、という無言のメッセージが反映されたらいい。伝わって、一人応援してくれて、実際に足を運んでくれる人がいる――みたいに伝われたいいな~~~~と思う。
そう伝わってほしいという願望なので、「またこいつ来るよ、うっざ」とか思われててもまあどうしようもない。ただ、私はあなたを見に行きますというメッセージである。